東京都江東区大島
ツインコリダー数 : 2棟
形状区分 : ツインピット
供給区分 : 公団
築年代 : 昭和44年
ちょうでかい!
以上。
・・・で済ませられるはずもありません。
この傑作巨大ツインコリダーを。
では、見ていきましょう。
↑団地に囲まれるツイコリ!
たまらない景観ですね。美しい。
では、寄って見ましょう。
↑うわぁ!ちょう美しい!
どこをどう見ても完璧ですね。僕の写真の腕以外は。
住棟番号のレトロ感といい、左右手前の窓の庇といい、ピットの造形といい、
これ以上はないバランスです。
ちなみに、ここのピットは溝が2本ありますね。
こういうのをツインピットと呼びます。(僕が勝手に命名)
では、内部を見てみましょう。
↑長いなー、長い!
廊下の長さが半端ないですね。
さすがに、この長さを他では見たことがありません。
廊下の腰壁が高いコンクリートで、開口が小さいですよね。
これは、公団最初のツイコリである公団金町駅前団地を継承していると思います。
時期的には1年しか違わないですし。
↑吹き抜け1階には、何やら庭園めいたものが。
おそらく、ツイコリの吹き抜けの涙ぐましい緑化と石庭の歴史は、
ここから始まっているのではないかと、CAPOは推測します。
建物自体は、他を寄せ付けないかっこよさがありますね。
吹き抜けを上から見てみましょう。
↑お庭が一望のもとに!
見ての通り、吹き抜けの幅がかなり広いです。
さすが巨大ツイコリ。
↑それでもこの迫力。威厳があります。
この写真を見ただけで、大島四丁目団地だとすぐに分かります。
別の棟の吹き抜けも、見てみましょう。
↑公団の大好きな石庭。いかついですね。
自然の荒々しさと、清浄なる禅的世界を表現した・・・と、
言ってしまいたくなります。
奥に見える階段室も美しいですね。
この棟の妻側の外観を見てみましょう。
↑こちらはシュッとしてます。ストレート感がたまらない!
こちらが1棟で、さっきのが3棟です。
(2012/7/23 追記: 住人の方より、1号棟が最後に建てられたとう情報が寄せられました。)
もっと寄って見ましょう。
↑うわぁ!かっこいい!
窓がいっぱいあるっていいよねっ。
正面の窓は横長でちょうかっこいいし、
左右側面の窓は縦長で、ところどころ開いてるのがすてき。
↑敷地内にあった緊急用電源ですって、奥さん。
中途半端に汽車の形をしているのが、公団らしくていいですよね。
看板が駅のプレートみたいになっていて、左上にJRを文字ったみたいに「UR」
と書いてあるところが、茶目っ気というか何というか。
何にせよ、なぜ汽車なのか気になります。
廃線跡だったりして。
ここにはまたいずれ訪れたいと思います。
以上、傑作巨大ツイコリ、公団大島四丁目団地でした。
高校まで4丁目団地にすんでいました。おかげさまで今では立派な団地好きになりました!w
返信削除上から8番目の岩、これは「蛇岩」と呼ばれていて、幼少の頃は本気で大蛇が石化したものだと怖がられていました^^;
4番目の写真。これは2階ですね?確か上層は違ったつくりになってます(窓が付く)よく窓を乗り越えて(私の家は12階でした)あそんで叱られたものです。
とっても懐かしい気持ちになりました!ありがとうございます!
コメントありがとうございます!
返信削除蛇岩という呼称があったのですね。元住人の方ならではの情報、興味深いです。
4番目の写真は、記憶が定かではないのですが、おそらく仰る通り2階だと思います。そして、仰る通り上層部の3フロアが窓付きになっています。
公団大島四丁目団地は、公団金町駅前団地に次ぐ初期のツインコリダー型住棟を擁する団地で、設計は金町駅前と同じ久米設計事務所が手掛けており、日本の高層集合住宅の歴史において重要な位置を占める団地だと僕は考えています。
元住民の方に、懐かしんでいただけて嬉しいかぎりです。
こちらこそ、ありがとうございました。
こんにちは。
返信削除この団地が出来たときからの住人です。現在では度重なる改修で往事の印象も大分なくなりましたが、出来た時には各階のエレベーターの扉の前にオリジナルデザインのダウンライトが下がっていたりと、意匠的にも凝っていました。公団初期の大規模高層団地ということで大分力を入れて設計したようです。
ツインコリダーの1階部分も現在では倉庫が増設されていますが、(特に3号棟南側半分は)当初は殆ど柱だけの吹き抜けで、ルーツとも言えるコルビジェのユニテ・ダビタシオンにもっと近い形でした。建物の長辺が東西に面している(1日の内に一度は日が当たるという条件に採光を割り切る事で、建物の収容戸数をアップするため)のもユニテと同じです。ツインコリダーは、廊下が採光出来ないトンネルになってしまうユニテの欠点を改良した進化形ということなのでしょうか?
ちなみに建設は幹線道路から遠い奥の棟から順番に行われたようで、建築時期によって微妙に細部の意匠が異なっています。実は1号棟が一番最後に建設され、この棟のみ外観を含めてかなり異なった仕様になっています。
入居開始当初からの住人の方からのコメント、貴重な情報をありがとうございます。
返信削除オリジナルデザインのダウンライトがあったのですね。。見てみたいです。
それと、大島四丁目団地の住棟が建設された順番は、1号棟が一番最後だったのですね。
推測の間違いをご指摘頂き、ありがとうございます。
大島四丁目団地は、公団の面開発市街地住宅(略して面市)の系譜に連なると思います。
最初の面市として、公団又穂団地(名古屋)・公団森之宮団地(大阪)、次にツインコリダーを擁する面市として公団金町駅前団地(東京)が出来ました。
その翌年に出来たのが公団大島四丁目団地で、面市初期の発達のピークという感じがします。
建築の専門家でない僕は、ユニテ・ダビタシオンの構造とツインコリダーの関連性について明確には存じ上げないのですが、僕が入手した設計関連資料には、公団は従来の中廊下型住棟の欠点を補う目的でツインコリダー型住棟を開発したという経緯が書かれていました。
中廊下型とは、住棟各階の中央に1本の廊下を設け、その両側に住戸を配置する住戸アクセス方式のことで、吹き抜け構造ではないために、通風やガスの排気・採光に難がありました。
そこで、中央に吹き抜けを設けてその両側に住戸を配置するツインコリダー型にすることで、通気性と採光を高めたということです。
マルセイユのユニテ・ダビタシオンの平面図にも中廊下型構造の箇所がありますが、これを直接公団がアレンジしたのではなく、既に公団が建設していた中廊下型住棟(公団又穂団地やそれ以前の幾つかの面市以前の市街地住宅)の居住実績として洗い出された問題点を補うためにツインコリダーを作ったのだと、僕は認識しています。
公団がツインコリダー以前に建設した中廊下型住棟が、ユニテの影響によるのかどうかは、それを示す資料を見つけていないので、現時点で僕は分かりません。
そこが資料的に繋がれば、ツイコリの主筋のルーツとしてユニテを挙げられると考えています。
また、日本全国に存在するほとんどのツインコリダーが、南北軸配置(長辺が東西に面している)である理由が、採光を割りきって収容戸数を増やすためであるというのは知っていましたが、ユニテも同じ理由でその配置になっているとは不勉強で知りませんでした。ありがとうございます。
あと、大島四丁目のツインコリダーの1階部分が当初は殆ど柱だけだったとのことですが、これはいわゆる1階ピロティ型構造で、その後の公団の多くのツインコリダーで採用されています。
低層階部分にピロティを設けるのは、コルビジェの建築の大きな特徴だと思いますが、ツインコリダーの1階ピロティ構造との直接の関連性は分かりません。
ただ、公団のツインコリダーの1階は住戸がない(ピロティになっている)ことが多く、公営のツインコリダーの1階に住戸があることが多いのは何故かと、公団の方に尋ねたことがありまして、その時の回答は、「1階に住戸があると、吹き抜け底面の水はけの影響(雨水や湿気)を受けやすく、公団では住民から不評だったため。」といったものでした。
なので、コルビジェの影響というよりは、機能面での問題解決を図る形で1階ピロティ型を採用する住棟が増えたのでは?というのが、僕の認識です。
また、下層階の光量が増え、地平面の見通しも良くなるといった1階ピロティの意義もあるかと思います。このあたりはコルビジェのピロティの思想に含まれるのかもしれませんが、不勉強ゆえ知りません。。
とはいえ、当時の久米設計の担当者が、部分的にユニテを意識した可能性はあると考えています。
1階ピロティ部分にコルビジェの影響が感じられるものとしては、ツインコリダーではありませんが、広島市営基町高層アパート(大高正人設計)が挙げられるかと思います。
大高正人はメタボリズムの旗手ではありましたが、コルビジェの弟子筋にあたる前川國男建築事務所の出身ですし、モダニズム建築色が濃い高層集合住宅を設計していると思います。
長々とお返事を書いてしまいましたが、僕は建築を専門に大学等で勉強したわけではないので、妥当な見識であるという自信はありません。
ゆえに、団地愛好家・観賞家としては、建築構造よりも実は造形の見た目の美しさ・面白さ・楽しさに焦点を当てるスタンスで活動しておりますことを、多少ご理解頂けると幸いです。
ともあれ、建設当初の大島四丁目団地は、今とは違うオリジナルの美しさがあったとコメントから想像いたします。
貴重なコメントを本当にありがとうございました。